いまでこそ、この言葉に異議を唱える人はほとんどいないかもしれないが、内藤社長が「水」で秩父の地域起しを思いたった1980年当時、日本で水が商品になるという考えは皆無と言ってもよかった。
内藤社長が当時をこう振り返る。
「商品化するにあたって秩父保健所を訪ねたのですが、食品衛生法の中に“水”の基準は規定されていませんでした。つまり、水の商品化は想定外だったわけです。
当時の厚生省や農水省にも足を運びましたが、『日本で水が売れるの?』といった反応でしたね」
案の定と言うべきか、82年に発売した当初は売れなかった。
やはり、「安全と水はタダ」と言われた当時の日本では、水を買うという発想には、なかなかならなかったのである。